『アルビノの木』長文レビュー!

―ユクはスサノオやヤマトタケルと同じ行為に至ったことで、
初めて魂の進化を辿る権利を得た―
以上の文章は、イタリア在住のルネサンス絵画研究家 Koji Kondoさんが
新年に『アルビノの木』をご覧になり送って下さったレビューの一文です。
この映画に登場する人物の名前、ナギは日本古来から伝わる「神木」の名や
「伊邪那岐」から、羊市はキリスト教で贖罪の象徴「羊」から取ったのですが、
レビューは正に聖書・日本の神話などに触れた非常に鋭く深い内容だったので、
以下全文掲載します。
【※映画の結末に触れているため未見の方はご鑑賞後に!】
既に映画をご覧になった方は是非ご一読下さい。
ブルーレイやDVDで再見したくなる長文です。
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「鹿の樹皮食いによって傾斜した木を、白い軍手で撫でる象徴的なシーンから
映画は始まります。
鹿が善悪の木から実を食べるというパラドックスが、実は人間がそうしなければ
ならないという警鐘として描かれていると解釈しました。
結果的にユクが、その善悪を知る木に触れて自己の体験を通して、人間の本質を
探究する為のスタートとなるという暗示が、冒頭部で既に描かれています。

終幕のシーンで草履と足袋の足元の映像が目に入り、昔の黒澤明監督作品を
連想させるものがあったのですが、履物を見せるというのはその時代の風習を
特定をさせるという意味があるそうです。
その時点で、鹿を獲る為に仕掛けた罠から助けた女性ナギが羊市と結婚したのだと
予想しましたが、現れた女性の姿は印象的な角隠し。
その姿もこれまでに見たことのない袋状の「綿帽子」と呼ばれる白無垢と合わせる
場合に用いるもの。
婚礼で女性が怒りの象徴である角を隠す風習の由来ではないか、とさえ思える
ストーリーに仕立ててありました。
村に残った唯一の若い女性ナギの婚礼で、彼ら自身が鹿の化身としてユクに狙撃を
促しながらも、その行為を許すかのような笑み。
そしてその古くからの習慣が、これからも続くであろうことを表す小鹿の映像で幕が閉じる
という構成。
鹿は西洋ではギリシャ神話のアルテミスを象徴して、調べてみればそのアルテミス崇拝は、
ギリシャから東方へ掛けての古代宗教の中で秘教として受け継がれ、日本のアマテラスへ
と繋がっています。
アルテミスのアナグラムがアマテラス。
アルテミスは兄弟であるアポロに騙されて、自分の矢で海に浮かぶ黒い点を弓で射った
ところ、それが愛するオリオンの頭であったという物語がギリシャ神話にあるそうです。
この最後の場面が、白鹿自身が自らを犠牲にしてユクに善悪の認識を与えるということを
意味して、村の若者二人がそのメッセンジャーとして遣わされた、と解釈出来ます。
実際、彼女自身が白鹿の居場所を教えて、その場所で対立する価値観の若者が対立する
立場から信仰の尊さや生命の尊さをユクに訴えています。

古事記ではオウスが兄オオウスを殺害し、熊襲兄弟を殺害した後で王権授与して
ヤマトタケル、つまり大和の建国者の称号を与えられ、スサノオは竜を退治し
切り刻んだ後にその尾から天の群雲の剣という神剣を授与されます。
この物語で語られるヤマタノオロチの尾と熊襲兄弟の弟が、
クフ王の「王の間」と「女王の間」から北側に延びる通気口がピラミッド建造時に
指していた星である竜座のTHUBANと、こぐま座のKOCHABという二つの星です。
ヤマトタケルは女装して熊襲兄弟の弟を征伐しますが、なぜ女装で、なぜ弟で
なければならなかったのかと言えば、それはKOCHABがこぐま座のベータ星で
あるからです。
このように、太古の昔から伝えられる古代エジプトの秘密が、日本の皇統記
である古事記に、明確に書き記されています。
それは世界中の宗教が一つの根から派生して、日本の神道もそれを受け継いでいる
という事を、人類の進化のある時期に開示する為に意図的に仕組まれた暗号です。
その解釈をすると、ユクはスサノオやヤマトタケルと同じ行為に至ったことで、
初めて魂の進化を辿る権利を得た、という訳です。
創世記では、兄弟のアベルを殺めたカインに手を出してはならぬ、カインを殺める者は
77倍の報復を受けるとあります。
実はこのカインこそ聖書の中心人物で、彼は聖書の中で繰り返し転生した姿で
登場します。
そしてダヴィデ王の時代にゴリアテの首を刎ねた贖罪として、ヨハネとしての転生で
自ら断頭刑を受け入れたというのが聖書に描かれている彼の物語です。
その洗礼者ヨハネの象徴が「水」。

それから、創世記の善悪を知る木の部分を読み返してみましたが、
善悪を知る木があるのはエデンの園の東側。
「この木から実を取って食べてはいけない」というあたりが、映画内でナギが言う
「村の東の沢の水は絶対に飲んではいけない」という個所と同じ表現になっています。
キリスト教の思想の原点と、日本の古来からの風習や文化との接点が、
現代社会を対象にした日本映画という形で表現されているのは非常に興味深い
ことだと思いました。」
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