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佐伯剛さん(雑誌「風の旅人」編集長)トークショー採録!

4/15(土)京都みなみ会館 
映画『アルビノの木』初日トークショー
佐伯剛さん(雑誌「風の旅人」編集長)×金子雅和(同作監督)


※佐伯剛さんのご許諾を頂いた上で、トークのほぼ全容を採録いたします。

風の旅人
↑雑誌「風の旅人」復刊第6号(第50号)

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金子(以下、金): 一言、ご挨拶をお願いいたします。

佐伯さん(以下、佐): 「風の旅人」という雑誌を編集しております、
  佐伯と申します。
  一年くらい前に彼(金子)からDVDを送ってもらいました。
  いろいろな形でDVDや写真を送ってくる人はいるのですが、「見よう」という
  風にこちらが思えない送り方をする人がすごく多いんですね。
  挨拶文をコピーして、とにかく沢山の人に送りつけて誰か引っ掛かればいい、
  みたいなアクションを起こす人が多いんです。
  (ですが今回は)最初のコンタクトの段階で、彼の誠意というか、誠実さ
  というのが伝わるような送られ方だったので、僕はすぐに見たんですね。
  そして1日か2日のうちに、長い文章をブログで書かせて頂いたんです。
  (※「風の旅人」ブログ 第999回 畏れという人間の良心
  今は非常に大衆向けのメディアの時代ですけど、やはり一人一人との
  出会い方や、コミュニケーションの仕方から始まっていく本当の関係という
  ものがあると思うのです。
  そういったところが彼のスタイルと、作品作りで非常に共通しているな、
  という風に思いました。

金: ありがとうございます。去年の7月に東京で公開されることが決まったとき、
  DVDをお送りさせて頂いたのですが、その経緯としては、もちろん自分自身が
  「風の旅人」の読者であり、この数年では佐伯さんのブログやフェイスブック
  を拝読してきたからです。
  そして僕以上に、この作品でメインスタッフをやってくれた友人たちが
  「風の旅人」の大ファンで、全号集めて佐伯さんを私淑する人として日頃から
  語っていたことがあり、この作品全体として、ぜひ佐伯さんに見て頂きたい、
  見て頂くべきだと思い、お声掛けいたしました。
  スクリーンでご覧になるのは今日が初めてだと思うのですが、改めてご感想
  がありましたら・・・

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画像右:佐伯剛さん 左:金子雅和

<ギリシャ悲劇のような神話性>

佐: 正直申しまして、最初に見たときの印象は「完成度は低い」、だがむしろ、
  それが良いと、ブログにも書いたのです。
  扱っているテーマは深いもので「自然と、人間の現実との挟間」ですね。
  これは簡単に割り切って処理できる問題ではないので(それに対する)
  作り手の戸惑いとか、ためらいが「完成度の低さ」に表れていると
  思ったんです。
  「完成度の低さ」というのは非常に語弊のある言い方なのですが、
  この映画は一般的に言うとだいぶ低予算で作られているんですよね、
  その低予算に対してはとても「完成度が高い」。
  これ、あまり金額のことは言わないほうが良いんだよね?

金: いや、大丈夫です(笑)

佐: 400万円という、劇場公開用の劇映画としてはかなりの低予算で
  作られている。これは一般の劇場用映画(ハリウッド映画や国内
  大作映画など)の1/1000、きっちりとテーマ性を持たせて非常に
  丁寧に作られた映画と比べても1/100くらいだと思います。
  低予算の例を言えばセットを使っていない、今流行りのCGも使っていない
  (注※デジタル技術を使った素材の合成などの特殊効果は一部あり)。
  在るものを活かす、という作り方をしているんですね。
  一方、低予算でも、今は手持ちのデジタルカメラで割と安易に撮った
  ドキュメンタリーなどはいっぱいあるけど、そういったものは
  「低予算だけどテーマはしっかりあります」という自己主張が強いものが
  多い。(『アルビノの木』には)そういう押しつけがましさは無い。
  僕はそこに好感をもったんです。

  そして今日見て思ったのは逆に、「完成度が高い」な、と。
  その「完成度の高さ」というのは、別に作り込みがすごい、とかではなくて、
  ギリシャ神話をどこまで意識しているかは分からないけど、
  「ギリシャ悲劇」のような神話性を、セットを作る予算もない状態で
  実現しようとしているな、という印象をもった。
  最初に見た時は、役者さんの一人一人の台詞の言い回しとかに、
  ある種の硬さを感じたんですね。哲学的な、人生の意味を深く考える
  ようなところから出てくる台詞なので、普通の日常会話ではない。
  その硬さを、ぎこちなさと感じたのですが、それはやむを得ないと思った。
  ですがこれがギリシャ神話ならば、昔であれば文明の中に建てられた舞台で、
  役者さんが真実に届け、とばかりに台詞を吐いていたところを、
  現代文明の利器である映画で、かつ本当の自然の中に入っていって、
  そこでギリシャ悲劇のように登場人物が台詞を交わす。
  するとすべての自然風景などが、かつてギリシャ悲劇では不可能であった
  リアルな舞台装置となってくるわけですよね。
  現在、映像表現もいろいろな意味で行き詰っていると思うのですけど、
  たとえ予算がなくても、こういうチャレンジを通して神話劇の精神性を映画の
  中に持ち込めたのは、興行成績ばかりを追わない映画作りを続けていくヒント
  になる。そういう意味で「完成度の高い」作品だ、と改めて思ったんです。

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<現代の寓話を目指して>

金: ありがとうございます、恐縮です。
  この映画は自分の最初の長編『すみれ人形』(※映画学校の卒業制作)が
  公開された2008年、既に構想が始まっていて、その段階で「白鹿と猟師」が
  登場すること、『アルビノの木』というタイトルは決まってました。
  最初の企画段階から自分がやりたかったのは、ギリシャに限定してという
  わけではないのですが、やはり民話であったり神話であったりといった
  脈々と受け継がれてきたものを、現代劇の中で作れないか、という試みです。
  ですが手法としても難しいですし、テーマとしても「自然と人間」という
  とても大きいものなので、それが現実化していく、地に足が着くまでに、
  すごく時間がかかってしまいました。
  なので2008年の企画スタートから2014年の撮影まで6年間、短編の監督を
  したり、他の監督の映画に関わったりしながら、ずっと構想やロケーション
  探しをしていました。

佐: そっか、そういった制作の舞台裏を知らなかったけど、やっぱり
  「神話劇を映画に持ち込むんだ」という発想があったから、ああいう台詞
  だったんだね。

金: そうですね、あと自分自体が映画を見ているとき、あまりにも滑らか過ぎる
  芝居というものを、逆に何か信用出来ない、というか、違うような気がして
  しまうんです。いまは特に、リアルな、とか、ナチュラルな芝居というのが
  正しいとされる部分があるんですけど、一方でそれが人間の本質的な
  部分を分かりにくくさせているのではないかな?とも思っていて。
  あと、この映画では自然や動物と一緒に人間が出てきますが、それらを
  一緒に映しつつ、だけどやはりどこか人間だけが浮いてしまう、その中に
  入りきれない、という感じを出したかったんです。

佐: よく練られているな、と思ったのは、もちろん予算の関係もあると思う
  のだけど、舞台が自然メインの中で人間の現実をどう差し挟んでいくか
  という時に、登場する役所の人だとか、主人公のお姉さんなどの言う台詞
  ですね。「子供が出来ちゃったからごめんね」とか。
  我々が直面している現代的な問題というのは、焙り出せばいくらでもある。
  ニュースなどで認知済みの、大事だと分かっているんだけど現実は
  仕方ない、といったこと、原発の問題もそうですけど。
  そういった現実を、これでもかこれでもか、と見せていく表現はたくさん
  あるんだけど、もう僕らの認識の中で、現実は仕方ないよな、
  と分かっているものは、わざわざ焙り出さなくても(この映画の中のように)
  要所要所で短い台詞、ちょっとした状況シーンで描けば、全部通じる。
  86分という上映時間の中に、そういった現実がいろいろ入っていて、
  かつその現実の中で葛藤があって、葛藤があるからといって簡単に
  ギブアップしていいのか?という面もあって、現代の問題がいっぱい
  詰まっている。うまく消化できているかどうかは別として、
  濃縮度はすごいよね。

金: 日本の民話や神話などでも、かつてそれを書いた人は、最初から
  ファンタジーを書こうとしていたわけではなくて、その人たちにとっての
  日常のリアリティ、生活の中で感じたことを元に書いていたのだと
  思うんですよね。その生活感情をリアリズムで突き出すのではなく
  フィクション化し、普遍化して描いていたのだと。
  だからこの映画でも、僕らの現実をそのままリアリズムでポンと見せる
  のでなく、ひとつ寓話化することによって、これは実際に時間が経過
  しないと結果が出ないことですけど、作品が一年とか数か月で消費され、
  飽きられ忘れられるのではなく、もっと長いスパンで残るものになって
  欲しい。また、(寓話化することによって)日本とは文化がぜんぜん違う
  国の人たちにも何か共通するものを感じてもらえないかな、という風に
  思って作ったんです。

DSC01110.jpg


<映画的体験とは>

佐: 寓話性というのは、とてもよく分かる。ひとりひとりの登場人物を、
  かなり象徴的に作り上げているんだよね。だからある意味で典型、
  現代的な状況の中でどうしてもへりくだって生きるしかない典型、だとか、
  便利と不便の間で葛藤している人、だとか、そういった象徴的な人物
  たちが台詞を発しているのが、非常に演劇的になっている。
  こういった映画は、娯楽性もないわけだし、興行として成功するのかと
  いったら難しいと思うんですよね。
  だけどいまは、娯楽はいくらでもあるわけだし、映画もネットで見れる時代。
  そうなって映画を劇場で見る必然性というのが無くなってきて、
  (大作映画でも)椅子が揺れたりとか、遊園地感覚を持ち込まないと人を
  呼べないのか、というところにきている。
  そんな中、演劇性、つまりはその場にいて、その場の空気・空間の中にいる
  ということに意味がある、劇場自体が舞台装置となるような作り方をすること
  が映画でも大事になる。家でポテトチップスを食べながら寝ころんで見る、
  というのとは違う体験が出来るような。

金: 仰るように、映画館の暗闇でじっと見るからこその「何か」がないと。
  自分の世代は20才前後のころ、ちょうどミニシアターブームというのが
  あって、単館系の映画が多く見られたのですけど、その頃に見た映画って、
  正直見た直後、よく分からない、と思うことが多かったです。
  だけど一回見てもよく分からなかった映画が、どこかで引っかかって、
  年齢を経てから見直すと、また違う見え方がしたり、読んだ本と関連して
  いったり。映画を消費するのでなく、人生の中の記憶として残って、
  作品が自分の中で一緒に成長していく。これが映画的な体験、
  映画館で映画を見る魅力なんじゃないかな、と。

佐: 記憶に残ると言えば、いちばん最初に作られた映画といわれる
  リュミエール兄弟の映画。
  例えば、駅に列車が滑り込んでくるだけ、とか、門みたいなところから人が
  どんどん溢れ出てくる、とか、何の台詞もない。
  そういったシーンが、一回見たら忘れられない、すごく鮮明に憶えている。
  おそらく作り手も、当時それを見た人たちも、ものすごくびっくりしていた
  のだと思うんですよね。二次元の画像の中から人が溢れてくる、というのは、
  動画じゃなければ出せない表現です。
  あと、動画ならではの表現というと“沈黙”も、他の表現では出来ない。
  動画の中で男と女がいて、3分間ずっと会話も何もないシーンがあると、
  見ているほうは色々なことを考える。写真であっても、そこまでは沈黙の
  重みや、背後にある何かを感じない、絵もそうです。
  つまり映画だけの武器である“沈黙”の使い方というのが、映画作りが
  どんどん技術化していく中で忘れられている。
  間がなかったり、慌ただしかったり、テレビドラマと変わらないものが
  多くなっているけど、原点に戻ることによって映画らしさを取り戻すことが
  できるのでは。どう?そのへんは意識してますか?

金: そうですね、映画というのは時間ですよね、見る人も暗闇の中に
  拘束されて、この映画だったら86分間、時間を共有しなければいけない。
  家で見れば早送り出来るけれども。
  画や音だけではなくて、その時間を体験することによって、
  生まれてくるもの、感じるものが大きくあると思います。
  自分も、まだそれが上手く表現できているわけではないですが、
  やはり仰るような間であったり沈黙から、その人が台詞で言っていることの
  奥にあるものを描きたい。
  ちょっとした言い淀みや間から、表面として言葉ではこう言っているけど、
  その裏にあるもうひとつの意味、感情を表現できたら、と思います。

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映画『アルビノの木』より

<「多様化」と「多層化」の違い>

佐:この映画、もうずいぶん長い間、全国を廻ってますよね。

金: はい、2016年7月に東京から始まって、名古屋・秋田・下関・福岡・広島、
  今日から京都・大阪、今月末から長野で、来月は松本・横浜と。
  公開が始まってから時間が経ってますが、有り難いことに地味に息長く、
  上映が続いてます。

佐: こういう映画を上映してくれる映画館があるってことが、現代の状況に
  おいて、すごいなと思うんだよね。

金: 劇場も大変な状況なんですよね。デジタル化に伴って、多くの劇場が
  消滅して。そういった中で、この小さな映画を上映して下さる劇場が
  全国にあるのは、作り手にとって、とても励まされることです。

佐: 間違いなく表現の転換期だと思うんですよね、本でも映画でも。
  転換期っていうのは、表現の仕方が変わりつつあるという以前に、
  配給の仕方とか、本で言うと配本の仕方、書店に並んでいた本が、
  そうでない形になってきている。
  だからシステムが変わりつつある現実を見た時に、今まで多くの人は
  気づいていなかったのだろうけど、ものの作られ方が、如何にシステム
  によって縛られていたか、ということに気付き始めると思うんです。
  具体的に言うと、本だったら本屋さんの書棚に並ぶために、
  決まった規格サイズでないとダメですよね。
  雑誌とかでも、そういうシステムありきで、流通のし易さも含めて規格化
  されていて、その制約の中に当てはまるものじゃないといけない。
  「風の旅人」は5年前に書店販売は止めましたけど、2003年に創刊して
  書店に置き始めた時は、どこの書棚に置けばいいのかと、ずいぶん
  聞かれたんですね。つまり人文系なのか、ネイチャーなのか、もしくは
  アートなのか、写真なのか、とかね。それを決めてくれないと、置く場所が
  決まらない、みたいな言い方もされたりとか。
  実際は音楽雑誌の横に置いている書店で売れたりして、フィーリングで
  買う人がいるのに、かなりシステムに縛られて、もの作りをさせられている。
  映画もそういったところがあるでしょう?

金: 今のお話を聞いて、ちょっとお伺いしたいのですけど、佐伯さんは東京で
  お仕事をされてきて、この数年は京都へ移られてますよね。
  ものを作ったり出版をしたりする上で、ある種、東京がシステムの中心として
  あるように考えられてきたわけですけど、映画でも地方在住の監督が地元
  から発信するような作品も出てきて、変わりつつある。
  というより変わらないと、今の日本の、都市に一極化した様々な問題が
  解決していかないと思うんです。そういった点で、京都に活動の場を
  移されて、東京との違いをどう感じていますか?

佐: 一番違うのは、東京はよく「多様化」とかいうけど、実はすごく均質
  なんですね。つまり同じ時間軸とか、同じフレームの中での「多様化」
  なんです。京都は「多様化」というより「多層化」という言葉のほうが
  正しいのではないかと思って。
  違う時間が、同じ空間の中に流れているのがすごく大きい。
  時間と価値観というのは、密接に結びついているので。
  現代の時間が流れているところには、現代の価値観が流れているわけで、
  例えば中世の時間であれば中世の価値観、古代であれば古代の価値観が
  流れている。
  いろいろなものが体験できるから良いという単純なことではなくて、
  「世界は多層である」ということが(京都では)リアルに、
  俯瞰するように感じられる。
  だけどひとつの層の中に自分が埋没していたら、「世界が多層である」
  ということが感覚で分からない。自分の直面している現実は、多層な世界の
  一つの層にすぎないのだ、という冷静さを失いがちになる。
  その渦の中に巻き込まれて溺れてしまい、自分の価値観の軸すら定められ
  なくなって、何が流行っているのか意識しすぎたり、人の噂が気になったり、
  どうしても周りに引っ張られる。
  それを「流される」というのでしょうけども、その渦の中にいるから、
  流されていること自体も分からない。
 
  一方で、多層な時間があることを意識できれば、そのあいだの行き来が
  出来る。例えば京都なら1~2時間で高野山や丹後に行って、
  (違う時間の価値観を)トリップして、すっと戻ってこれる。
  東京にいると、3~4時間くらい車で走っても同じ場所が続くでしょう、
  関東平野は広いから。そうした環境は人間の感性を麻痺させるもの
  だと思う。
  僕が東京を出ようと決断したのは、国立競技場のデザインが一度、
  ザハ案に決まった時です。あのデザインは空から見れば格好良いのかも
  知れないけど、人間が立っている位置から見たら、ただの壁しか見えない。
  (それに代表されるように)東京は自分が生きている現実と、抽象世界の
  関係を分からなくさせる場所なんですね。作り出されるものが、自分の
  現実と全く関係ないところにいってしまう表現がとても多い。
  かといって自分の現実だけをモゴモゴ描いているものも、ひとつの層に
  埋没してしまうわけで。
  だから、その間で両方を見るようなポジションにいることが必要なのだと
  思いますね。

金: なるほど・・・。「多様化」ではなく「多層化」というキーワードが出た
  ところで、たいへん残念ながらお時間がきてしまいました。
  佐伯剛さん、本日は貴重なお話を本当に有難うございました。
  (お客様からの拍手で終演)

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4月15日(土)京都みなみ会館にて、上映後行われたトークを採録
文責:kinone ()内の補足・注釈はすべて金子によるもの
※トーク中写真は、京都みなみ会館よりご提供頂きました

| 上映情報 | 14:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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