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千松信也さん(猟師)トークショー採録!

4/16(日)京都みなみ会館 
映画『アルビノの木』2日目トークショー
千松信也さん(猟師)×金子雅和(同作監督)


※千松信也さんのご許諾を頂いた上で、トークのほぼ全容を採録いたします。

ぼくは猟師になった
千松さんの著書:『ぼくは猟師になった』

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千松さん(以下、千):皆さん、はじめまして。千松です。
  ここ(京都みなみ会館)から車で30分ほど北に行った山裾に住んで、
  シカやイノシシを獲る猟をしています。今日の映画で言うと、僕は鉄砲を
  使わない罠だけの猟をしていますので、脚が悪かったおじさんの猟師
  (※長谷川初範さん演じる火浦)のほうですね、宜しくお願いします。

金子(以下、金):最初に、今回千松さんをお呼びしたきっかけを少しだけ
  お話いたします。
  この映画は昨年の7月に東京での劇場公開が始まったのですが、
  シナリオを書いている段階で、千松さんの書籍「ぼくは猟師になった
  を自分は拝読していて、罠猟についての知識や、千松さんの狩猟に
  対する考え方から影響を受けたり、気づきがありました。
  ですので完成した映画を見て頂きたい、と思っていたところ、たまたま
  知人の映画プロデューサーと千松さんに繋がりがあることが分かって、
  DVDをお送りして作品へのコメントを頂きました。
  まずお聞きしたいのですが、実際に猟をやられている千松さんは、
  劇映画(フィクション)の中で猟を扱っているこの作品を最初にご覧に
  なった時、どのように感じられたか、率直にお話頂けたらと思います。

千:はい、ちょっと緊張するんですけど(笑)。
  僕は映画については全然詳しくなくてですね、あんまり映画も見ない
  ほうなので、頓珍漢なことを言うかも知れないです。

金:いえいえ。

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画像左:千松信也さん 右:金子雅和
※写真提供:石井陽子さん

<有害駆除猟とは>

千:今回の映画はメインの部分としては「人間と自然」がテーマだと
  思うのですけど、それに絡む形として「有害駆除」というのが登場して
  いますね、これも説明し出すとややこしいんですけど。
  映画の中で「獲ったのにその獲物の肉も食わないで殺すなんて、本当は
  やりたくないんだ」みたいに、火浦が言っていたと思うんですけど、
  僕がやっている狩猟、多くの日本中の猟師がやっている狩猟っていうのは、
  食べるために獲るものです。それは冬場の猟期といわれるシーズンだけに
  行われるものなんですけど、最近、日本中でシカやイノシシ、サル、その他
  いろいろな動物が、一旦減っていたのが勢力を回復して、逆にどんどん数が
  増えてきて、それによって「獣害」というのが激しくなってます。
  それは農作物を荒らすとか、林業の木を枯らすとか、色んな害と言われる
  ものがあるんですけど、その有害駆除のための猟に、いわゆる食べるために
  獲物を獲る猟師が、現状ではほぼボランティア的な形で猟期以外のシーズン
  に従事するんですね。
  それがここ4~5年、国の政策が変わったりで、この映画に出てきたような
  民間の会社、NPOといったところが仕事を引き受けて野生動物を捕獲する・
  駆除するのが始まっていて、現在の日本の状況にすごく重なるような形で
  描かれているな、というのが、最初に(この映画を)見てドキドキしました。

  僕自身は、有害駆除は一切やらないんですね。何でか?っていうと、
  自分や自分の家族が食べない動物を殺す理由がない、僕がやりたい
  狩猟っていうのはそうではない、という考えでやっているので。
  ただ、農家の人が獣害にやられて困っているんだ、畑が全部荒らされて、
  来年も荒らされたらこの村から出ていかなきゃならない、っていうくらいに
  酷い被害があったりとか、あと、僕はシカとかイノシシを獲る以外にも、
  山菜とかを採ったりキノコ狩りに行ったりとか、四季折々の山の恵みを
  頂いているんですけど、今の日本のかなりの多くの地域でシカが増え過ぎて、
  森の植物がどんどん食べ尽くされて、すごい貧相な生態系になっている
  ということで、ある程度の数を獲らなければならない、そういう必要性、
  社会的要請もあって、その中で自分が有害駆除活動に参加するかどうかは
  常に問われているんです。
  僕なんかは、やらない、で割り切ってしまうんですけど、僕以外の、
  ほとんどの地域の猟師は、本当はちょっとやりたくない面もあるけど、
  でもやっぱり銃を持ってる、罠を持ってる、それを使う技術があるのは
  自分たちなのだから、社会的な活動として引き受けている。
  真夏の暑い山でも駆けずり回って、それに従事している人がたくさんいて。
  だけどやっぱり、そういう人たちと猟友会とかで話すと、本当は嫌だよね、
  どうせなら美味しく食べたい、っていう、負い目みたいなものを感じながら
  やる活動なんですよね、有害駆除っていうのは。
  それが今回の映画で、よく描かれているというか。
  (有害駆除を行う)現代の猟師にとって、これが正しい、っていうような
  理由って色々あるんですけど、それは結局、自分がやっていることを正当化
  するための理由づけなんです。今回の映画の登場人物は、みんながみんな、
  後ろめたさを抱えていて、常に大義名分を探しているというか。
  更に今日見ていて思ったのは、会話がかみ合っていないというか、みんな
  相手に喋っているというよりは、自分に言い聞かせるように喋ってばかりで、
  そういう不安感が、自分が今の日本の山の中で野生動物と関わる時に
  感じるものと、通じる部分があって、すごくドキドキしながら見ました。

金:ありがとうございます。猟についてご存知でないお客様のために少し
  補足させて頂くと、千松さんが猟をやられているのは、話に出た猟期と
  言われる(法律で定められた)、11月15日~2月15日ですよね。

千:はい、京都はいま、シカやイノシシだけ、数が増えているので1か月後
  (3月15日)まで延長があるのですけど、基本的には冬ですね。

金:あ、なるほど。有害駆除として行政などに頼まれてやる場合は、それ以外の、
  夏であったり春であったりするわけですね。

千:そうですね、(有害駆除は)猟期以外の期間に主にやるんです、
  具体的な被害の届け出があって、このエリアで何十頭獲って欲しい、
  などの依頼がくる。

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<罠猟師>

金:この映画は構想期間が長くて、2008年に企画をスタートさせて昨年に
  ようやく劇場公開されたんです。最初の企画の段階から、「自然と人間」
  という、すごく大きいのですが、そういったテーマに向き合いたいな、と
  思ったんですね。
  そのテーマを撮りたいと考えながら、「有害駆除」を取り入れるに至った
  理由を振り返ってみると、自分は東京生まれ、東京育ちで、都心だと
  やっぱり、身近に山とかはないんですよね。京都であれば少し行けば山が
  ありますが。
  千松さんのように実際に猟をやっていると、猟をして、自分の食べるものを
  自分の手で得る、己が食べるものへの責任を感じながら生きている、という
  意識があるのかな、と思うんです。
  一方で自分(や多くの都会に住む人)なんかはそういう関係性がすごく
  見え辛くて、極端に言えばスーパーで売っている肉であれ何であれ、
  元はと言えば、それも生きた動物だったわけですけど、そういった、
  自分たちが生きるために何かから(命を)奪ったりして糧を得ている、
  ということに全く実感がない、意識が希薄なんですね。
  でも、そういう意識を持たないで生きながら、環境保護とか、動物愛護を
  しなきゃ、みたいに言っている状況に、ネジレとか歪みを感じていて、
  それを作品の中で表現したいと思ったんです。
  千松さんは、最初に猟をやろうと思ったきっかけは、どういったことだった
  のですか?

千:僕は今年で(猟歴)16年、今42才で25才からやっているんですけど、
  子供の頃から釣りが好きだったりして、その影響で猟っていうのも
  出来ればやりたいと思ってたんですけど、山がないエリアで生まれ育った
  ので、そんなのは現実的には出来ないだろう、って思っていたんです。
  そうしたらたまたま、学生時代のバイト先の先輩、年配の社員の方が、
  何十年も罠猟をやっている、という話を聞いて、ぜひ教えて下さい、と。
  そういうきっかけですね。
  最近だと狩猟が、獣害の問題などで注目されているんですけど、
  当時はもう、斜陽産業というか、ぜんぜん誰にも見向きされない、
  老人だけがやっている世界で、何でそんなところに今どき来るんだ?
  という風に言われる感じだったんです。
  僕は昔から、動物がすごく好きで、動物と向き合って暮らしていきたいな、
  と思う中で、肉を食べているのに、それを誰かにお金を払って
  殺してもらって、捌いてもらって、飼育してもらって、
  食べるだけをやっているのが、自分の中で納得出来てなかったというか。
  肉を食べるという選択をする以上は、多くの人が嫌がるような立場の
  こともやりたい、ということがずっとあって、それで家畜とかを飼うことも
  やってみたり。
  自分が猟を始めた時期っていうのは、ちょうど日本の山にシカとかイノシシ
  が戻ってきて、どんどん増えていたタイミングだったので、そこの裏山に
  美味しいイノシシが歩いているなら、獲って食べようか、と。
  まあ貧乏な学生だったので(笑)、単純な感じもあったんですね。

金:狩猟には大きく分けて銃猟と罠猟がありますけど、千松さんは銃猟の免許は
  取られたことは・・・

千:ないです。

金:猟っていうと、多くの人の中では銃猟っていうイメージがありますよね、
  この映画のポスターでも銃を構えていますけど。(千松さんが)罠猟しか
  やらない、ということには、こだわりや、想いがあるのでしょうか?

千:鉄砲による猟っていうのは、本州では殆ど集団で、犬を使ったり、勢子って
  いう追い立て係がいたりして、追い上げて、この映画の冒頭シーンでも
  「沢に追い込んだ」ってありましたけど、だいたいグループでやるのに
  対して、罠猟っていうのは、基本的には一人、単独でやるんです。
  僕は集団行動が苦手だった、というのがあって、一人で気ままに山に入って
  いきたいな、という感覚が強かったのと、やっぱり自然の中で、自分も
  野生動物の仲間入りがしたいな、と。山の中で動物と向き合うとき、他の人間
  とのコミュニケーションっていうのは、余分な要素だったんです。
  あと鉄砲っていう、人間の英知が作り上げた機械を使うっていうのが、
  これは自分自身で作り上げられる物ではないので、そういう強力な機械を
  使うっていうことに抵抗感があって。
  その感覚は(猟を始めた頃も)今もあって。
  それに対して罠は、映画に出てきたタイプと殆ど同じなんですけど・・・

金:(千松さんの)本を参考にさせて頂いているんです(笑)。

千:そうですか、実は今は、直径12cm以上の輪(の罠)を設置しては
  駄目なので・・

金:(映画に出てくるのは)違法ですね(笑)

千:(足首を示して)ここまで入ることは、まずないんですけど、本当は。
  まあそれはいいんですけど(笑)。罠は(一般には映画に出てくるような)
  ワイヤーを使ってますけど、よくしなる木とか、切れにくい繊維とか、
  そういったものを使えば、自然物だけで再現可能なんですよね。
  なのでナイフくらいは欲しいですけど、それで加工すれば、山の中に
  一人ポンと置いていかれても、シカでもイノシシでも獲れる技術であると。
  そういう部分で僕は、罠猟に魅力を感じてやっているわけです。

金:なるほど。映画の中に出てくるのは「くくり罠」と言われるものですね。
  この映画はかなり早い段階で「猟師と白鹿」が出てくることは決めていた
  んですけど、やっぱり最初は銃を使う猟師しか考えてなかったんですね。
  そんな中、千松さんの書籍を読んで、罠猟って面白いな、と興味を持って
  取り入れたんですけど、もろに書籍から影響を受けた部分として、
  罠を木の皮と一緒に煮るっていうのがあります、映画の中の描かれ方は
  ちょっとリアリティがないのかも知れませんが。ああいうことは実際に
  やられるんですよね?

千:やりますね。(映画に出てくるより)もっとすごい大きい鍋で、それが全部
  埋まるくらいの大量の木の皮で煮込んで、真黒な汁みたいになるんです。
  (映画内の)あれだと、ダシを取っている程度に見えたんですけど(笑)、
  まあまあ、それはいいんですけど、そういう風にして臭いを消すという
  というのはやってます。(※ワイヤーの鉄の臭いを自然物で消すため)

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映画『アルビノの木』より

<人間の葛藤と、どうにもならない自然>

金:ところで、この映画はひとつの架空の山を舞台にしていて、実際の撮影は
  長野県、群馬県、山形県のあちこちで行って、それを編集でひとつの空間に
  見えるように繋げているんです。自分自体、山に行くのが好きなんですけど、
  この映画で主人公が山に入っていく描写と、千松さんが実際に猟をやる
  ために山に入る時の感じで、何か共通する部分、ないしちょっと違うな、
  と思った点はありますか?

千:まずはやっぱり、撮影されたのが北のほうですよね、だから生えている
  木々や、山の雰囲気がぜんぜん京都の山と違うので、そういう意味では
  外国の映画を見ているようで新鮮な感じで、日本の映画なんだけど日本の
  映画じゃないような。
  僕からもちょっと聞きたいと思ったんですけど、この映画には色んな形で
  動物を獲る人が出てきますよね。僕は最初に言ったように獲った獲物を
  食べる、そのために猟をしているんですけど、そういう猟師は出てこない
  ですよね。火浦は、普段はそうしているのかも知れないけど、
  今はお金のために仕事をしている。他の人たちは元々運送会社で、
  僕もいま運送会社で働いているので奇遇なんですけど(笑)、
  (有害駆除が)儲かると社長が仕事を取ってきて主人公のユクと、先輩の
  今守がやっている。この二人も少しスタンスが違いますよね。
  今守のほうは、殺すだけ殺しておいて、あとは放っておく(捨てていく)のは
  後味が悪いという感覚を持ちつつも、二人とも仕事として始めたので、
  いわゆる猟師ではないキャラクター。
  どっちかというと、山で獲物を獲って食べる、という猟師は、むしろ依木村
  (映画中盤以降に出てくる、白鹿を神として大切にしている村)にいそうな
  キャラクターなんですよね、そこに住ませるとわけが分からないことになる
  から、敢えて出さなかったのかな、とは思うのですが。

金:そうですね、設定を考えている中で、今の日本の現実ではまだビジネスライク
  まではなっていないとは思いますけど、ビジネスライクに有害駆除猟に
  関わっている主人公たちに対して、村には自分が生きる・食べるために
  獲る猟師、というのがいるほうが、対立項として分かりやすいな、とは
  思ったんですね。自分も千松さんが仰るような、食べるために獲る、
  という猟師のスタイルが良いな、と思うし、もしも自分が実際に猟に関わる
  のであればそうありたいな、と思うんです。
  ですがこの映画では、こういった生き方が良いんだよ、正しいんだよ、
  ということを提示したかったわけではなくて、それぞれの人物が、
  それぞれの生き方の中で葛藤していて、誰もが必ずしも自分が正しいと
  言い切れない中で、自己正当化しないと生きていけない、そういう現代人の
  姿を描きたかったんですね。
  村の生活は生活で、憧れるものはありますけど、実際には、現代日本で
  あの生活を維持することは出来なくて、映画の中でもこのままでは
  滅びてしまう、と描いている。そういった現代を生きる自分たちの葛藤を
  描きたかったので、あえて二項対立になるような形での猟師を出さなかった
  んです。

千:そうそう、僕が何でこんなにソワソワしているかって考えたら(笑)、
  自分の精神的な部分っていうか、気持ち的な部分は、あの村人のほうに
  寄っているんです。だから、トータルとしてストーリーを見たならばすごく
  理不尽なことをされただけ、っていう風に見るんですけど、その理不尽な
  行為が、普段自分がやっている猟という手段を使っている。
  だから自分の中での色んな立場とか、考えとか、それも全部説明出来るもの
  ではなくて、その時々の、例えば僕が町のコンビニで買い物をしている時の
  感覚であったり、伝統的な狩猟を残していきたい、と思う感覚であったり、
  とか、そういったものを、それぞれの度毎に、それぞれの人物に重ね
  合わせて、自分の内側を色んな形で見せられているような気がして、
  何か落ち着かないというか(笑)。

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千松信也さんのコメント ※クリックすると拡大されます

金:千松さんが下さったコメントの中でも、ご自身が猟をしていて、山の中で
  シカに出会ったときの「何とも言えない居心地の悪さ」をこの映画の随所で
  感じた、とありましたよね。
  ところで、この映画のラストシーンは、見た人の中でいろいろと解釈が
  分かれると思うのですが、千松さんはどのようにご覧になりましたか?

千:僕が見た感じとしては、結局どうにもならないんだな、みんな必死に変えよう
  とか守ろうとしているけど、なるようにしかならない、という感じですかね。
   (場内から笑い)

金:(笑)それに対しては、やっぱり何とかしなきゃいかん、と思いますか?

千:いや、僕は思わないですね。自然を守れたら守れたほうが良いんですけど。
  僕は実家が農業なんですけど、農業はあんまり好きじゃなくて猟のほうが
  好きなんですけど、それが好きな理由っていうのは、その場その場に
  あまりしがみ付かないで、獲物がいるところに行って獲る。
  丁寧に育てるんじゃなくて、山が育ててくれたものを搔っ攫う、という。
  それは自然がないと成り立たないことなんですけど、だからと言って、
  森に木を植えるとか、自然を守ろう、っていうように言うのも好きじゃ
  なくて、与えられた環境の中で、ここに獲物がいる、他の人間が
  獲ってない良い穴場がある、という場所を見つけながら暮らしていく
  のが僕は好きなので、ちょっと変わってて。
  あの結末、あんまりみんなは思わないですか?どうにもならんなあって。

金:自分としては、明確な希望があるわけではないものの、絶望的に
  終わらせたつもりではなくて、人間の思惑はどうにもならないけど、
  それを超えて大きな世界、自然があって、また再生したり、育っていく、と。
  (お客様でも)そのような解釈をされている方はいるかな、と感じてます。

千:日本の森も、人間が本当に滅茶苦茶にしているんですよね。
  パルプ材にするといって、広葉樹をみんな伐ってしまって、戦後は木材が
  足りないからスギ・ヒノキ・カラマツをどんどん植えろってやってきて。
  でもそれが、輸入木材で安いのが入ってきたら、林業なんて金にならんと
  なって、ほったらかしにされて。
  (※無計画な植林が、現在の害獣問題の発端のひとつだと言われている)

金:仰る通りですね。

千:でも、それだけ滅茶苦茶にされた森の中でも、いい場所いい場所を見つけて、
  シカもサルもイノシシも、みんなその状況を乗り越えて、害獣なんていう
  ひどい扱いを受けるくらいに数を増やしてきているわけで。
  彼ら(野生動物たち)は状況に文句を言ったわけではなくて、そうなったら
  そうなったで何とか生き延びていくしかない。

金:したたかに生きていくわけですね。

千:うん、そういう感じを(ラストから)感じましたね。

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※写真提供:石井陽子さん

<自然と向き合って生きる>

金:千松さんのお話からも、著作を読んでいても感じたのですが、
  大義名分として何かをする、ということではなくて、ご自身が
  「食べるために獲る」今のライフスタイルがお好きだし、個人で出来る
  こととして生活の中で、動物の命と向かい合ったり食糧を向かい合う
  ということをされていて、(自然・動物と人間の在り方を)みんなに
  啓蒙しよう、押しつけよう、とはしていなくて、あくまで自分一人の生き方
  としてやられている。そこが自分は面白いと思うし、共感される方が
  多くいるのかな、と思います。
  究極的には、(自然環境の問題に対して)ある政策をやったらやったで
  また別の問題が出てくるので「こうやったらこうなります」、
  「これが正しいです」という風には、自然に対する人間の行動は
  明文化出来ないものだと思うんですよね。
  かといって実際に問題は起きているので、何もしないのではなくて、
  個々人が自分の生であったり、他のものの生と向き合う、というスタンスで、
  常に考えたり行動するしかやりようはないんじゃないかな、と思って。
  なのでこの映画でも、有害駆除をしなければいけない、という現代日本の
  現実状況がありながらも、それに対して法律などの「システム」を変える
  だけでは解決できない、という面は暗に示したかったんですね。
  それは千松さんの著作や、今日伺ったお話とも共通する部分がある
  のではないか?と勝手ながらですが思って、今回この場にお呼びさせて
  頂いたんです。

千:僕がやっている狩猟の場合だと、害獣はいないんですよね。
  シカでもイノシシでも、山の中で肥え太っていると、大変僕にとっては
  有り難い、ということなので。僕はさっき言ってくれたように啓蒙するような
  気はないんですけど、僕自身の生活スタイルが、シカとかイノシシが
  いなくなっては困るものになっているので、自然が無くなっては困る。
  僕(のライフスタイル)も一つの例に過ぎないですけど、山なり自然なり
  動物がそこにいてくれないと困る(という実感を感じる)ようになって
  初めて、自然というのは守られていくのかも知れないですね。
  町で暮らしながら、奇麗な自然を残しましょう、というのは、あんまり
  説得力がないかな、と思います。

金:分かりました。
  もっとお話したいのですけど、残念ながらお時間になってしまいました。

千:アルビノ種の話もしたかったですね。
  (※上映前の打ち合わせで、千松さんの田舎ではアルビノの蛇=白蛇
  への信仰があった、という話が出ました。これも日本人の宗教観や本作の
  内容と関連して、とても面白い話だったのですが、時間が足りませんでした)

金:千松信也さん、貴重なお話を、本当にありがとうございました。
 (お客様よりの拍手で終演)

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<千松信也(せんまつ・しんや) プロフィール>
1974年兵庫生まれ、京都在住、猟師。
京都大学文学部在籍中の2001年に甲種狩猟免許(現わな・網猟免許)
を取得した。伝統のくくりわな、無双網の技術を先輩猟師から引き継ぎ、
運送業のかたわら猟を行っている。鉄砲は持っていない。
2008年『ぼくは猟師になった』(リトルモア刊、現在・新潮社文庫)、
2015年『けもの道の歩き方』(リトルモア刊)を出版。
狩猟にまつわる講演等も行う。

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4月16日(日)京都みなみ会館にて。上映後行われたトークを採録
文責:kinone ()内の補足・注釈は金子によるもの

※トーク中写真は、当日京都までご来場下さった鹿写真家・石井陽子さん
 よりご提供頂きました。
 記載のないものは、京都みなみ会館よりご提供いただいてます。

映画『アルビノの木』は5/27(土)~6/2(金)横浜ジャック&ベティにて上映。
連日17:45~本編86分 詳細は→コチラ

| 上映情報 | 06:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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佐伯剛さん(雑誌「風の旅人」編集長)トークショー採録!

4/15(土)京都みなみ会館 
映画『アルビノの木』初日トークショー
佐伯剛さん(雑誌「風の旅人」編集長)×金子雅和(同作監督)


※佐伯剛さんのご許諾を頂いた上で、トークのほぼ全容を採録いたします。

風の旅人
↑雑誌「風の旅人」復刊第6号(第50号)

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金子(以下、金): 一言、ご挨拶をお願いいたします。

佐伯さん(以下、佐): 「風の旅人」という雑誌を編集しております、
  佐伯と申します。
  一年くらい前に彼(金子)からDVDを送ってもらいました。
  いろいろな形でDVDや写真を送ってくる人はいるのですが、「見よう」という
  風にこちらが思えない送り方をする人がすごく多いんですね。
  挨拶文をコピーして、とにかく沢山の人に送りつけて誰か引っ掛かればいい、
  みたいなアクションを起こす人が多いんです。
  (ですが今回は)最初のコンタクトの段階で、彼の誠意というか、誠実さ
  というのが伝わるような送られ方だったので、僕はすぐに見たんですね。
  そして1日か2日のうちに、長い文章をブログで書かせて頂いたんです。
  (※「風の旅人」ブログ 第999回 畏れという人間の良心
  今は非常に大衆向けのメディアの時代ですけど、やはり一人一人との
  出会い方や、コミュニケーションの仕方から始まっていく本当の関係という
  ものがあると思うのです。
  そういったところが彼のスタイルと、作品作りで非常に共通しているな、
  という風に思いました。

金: ありがとうございます。去年の7月に東京で公開されることが決まったとき、
  DVDをお送りさせて頂いたのですが、その経緯としては、もちろん自分自身が
  「風の旅人」の読者であり、この数年では佐伯さんのブログやフェイスブック
  を拝読してきたからです。
  そして僕以上に、この作品でメインスタッフをやってくれた友人たちが
  「風の旅人」の大ファンで、全号集めて佐伯さんを私淑する人として日頃から
  語っていたことがあり、この作品全体として、ぜひ佐伯さんに見て頂きたい、
  見て頂くべきだと思い、お声掛けいたしました。
  スクリーンでご覧になるのは今日が初めてだと思うのですが、改めてご感想
  がありましたら・・・

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画像右:佐伯剛さん 左:金子雅和

<ギリシャ悲劇のような神話性>

佐: 正直申しまして、最初に見たときの印象は「完成度は低い」、だがむしろ、
  それが良いと、ブログにも書いたのです。
  扱っているテーマは深いもので「自然と、人間の現実との挟間」ですね。
  これは簡単に割り切って処理できる問題ではないので(それに対する)
  作り手の戸惑いとか、ためらいが「完成度の低さ」に表れていると
  思ったんです。
  「完成度の低さ」というのは非常に語弊のある言い方なのですが、
  この映画は一般的に言うとだいぶ低予算で作られているんですよね、
  その低予算に対してはとても「完成度が高い」。
  これ、あまり金額のことは言わないほうが良いんだよね?

金: いや、大丈夫です(笑)

佐: 400万円という、劇場公開用の劇映画としてはかなりの低予算で
  作られている。これは一般の劇場用映画(ハリウッド映画や国内
  大作映画など)の1/1000、きっちりとテーマ性を持たせて非常に
  丁寧に作られた映画と比べても1/100くらいだと思います。
  低予算の例を言えばセットを使っていない、今流行りのCGも使っていない
  (注※デジタル技術を使った素材の合成などの特殊効果は一部あり)。
  在るものを活かす、という作り方をしているんですね。
  一方、低予算でも、今は手持ちのデジタルカメラで割と安易に撮った
  ドキュメンタリーなどはいっぱいあるけど、そういったものは
  「低予算だけどテーマはしっかりあります」という自己主張が強いものが
  多い。(『アルビノの木』には)そういう押しつけがましさは無い。
  僕はそこに好感をもったんです。

  そして今日見て思ったのは逆に、「完成度が高い」な、と。
  その「完成度の高さ」というのは、別に作り込みがすごい、とかではなくて、
  ギリシャ神話をどこまで意識しているかは分からないけど、
  「ギリシャ悲劇」のような神話性を、セットを作る予算もない状態で
  実現しようとしているな、という印象をもった。
  最初に見た時は、役者さんの一人一人の台詞の言い回しとかに、
  ある種の硬さを感じたんですね。哲学的な、人生の意味を深く考える
  ようなところから出てくる台詞なので、普通の日常会話ではない。
  その硬さを、ぎこちなさと感じたのですが、それはやむを得ないと思った。
  ですがこれがギリシャ神話ならば、昔であれば文明の中に建てられた舞台で、
  役者さんが真実に届け、とばかりに台詞を吐いていたところを、
  現代文明の利器である映画で、かつ本当の自然の中に入っていって、
  そこでギリシャ悲劇のように登場人物が台詞を交わす。
  するとすべての自然風景などが、かつてギリシャ悲劇では不可能であった
  リアルな舞台装置となってくるわけですよね。
  現在、映像表現もいろいろな意味で行き詰っていると思うのですけど、
  たとえ予算がなくても、こういうチャレンジを通して神話劇の精神性を映画の
  中に持ち込めたのは、興行成績ばかりを追わない映画作りを続けていくヒント
  になる。そういう意味で「完成度の高い」作品だ、と改めて思ったんです。

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<現代の寓話を目指して>

金: ありがとうございます、恐縮です。
  この映画は自分の最初の長編『すみれ人形』(※映画学校の卒業制作)が
  公開された2008年、既に構想が始まっていて、その段階で「白鹿と猟師」が
  登場すること、『アルビノの木』というタイトルは決まってました。
  最初の企画段階から自分がやりたかったのは、ギリシャに限定してという
  わけではないのですが、やはり民話であったり神話であったりといった
  脈々と受け継がれてきたものを、現代劇の中で作れないか、という試みです。
  ですが手法としても難しいですし、テーマとしても「自然と人間」という
  とても大きいものなので、それが現実化していく、地に足が着くまでに、
  すごく時間がかかってしまいました。
  なので2008年の企画スタートから2014年の撮影まで6年間、短編の監督を
  したり、他の監督の映画に関わったりしながら、ずっと構想やロケーション
  探しをしていました。

佐: そっか、そういった制作の舞台裏を知らなかったけど、やっぱり
  「神話劇を映画に持ち込むんだ」という発想があったから、ああいう台詞
  だったんだね。

金: そうですね、あと自分自体が映画を見ているとき、あまりにも滑らか過ぎる
  芝居というものを、逆に何か信用出来ない、というか、違うような気がして
  しまうんです。いまは特に、リアルな、とか、ナチュラルな芝居というのが
  正しいとされる部分があるんですけど、一方でそれが人間の本質的な
  部分を分かりにくくさせているのではないかな?とも思っていて。
  あと、この映画では自然や動物と一緒に人間が出てきますが、それらを
  一緒に映しつつ、だけどやはりどこか人間だけが浮いてしまう、その中に
  入りきれない、という感じを出したかったんです。

佐: よく練られているな、と思ったのは、もちろん予算の関係もあると思う
  のだけど、舞台が自然メインの中で人間の現実をどう差し挟んでいくか
  という時に、登場する役所の人だとか、主人公のお姉さんなどの言う台詞
  ですね。「子供が出来ちゃったからごめんね」とか。
  我々が直面している現代的な問題というのは、焙り出せばいくらでもある。
  ニュースなどで認知済みの、大事だと分かっているんだけど現実は
  仕方ない、といったこと、原発の問題もそうですけど。
  そういった現実を、これでもかこれでもか、と見せていく表現はたくさん
  あるんだけど、もう僕らの認識の中で、現実は仕方ないよな、
  と分かっているものは、わざわざ焙り出さなくても(この映画の中のように)
  要所要所で短い台詞、ちょっとした状況シーンで描けば、全部通じる。
  86分という上映時間の中に、そういった現実がいろいろ入っていて、
  かつその現実の中で葛藤があって、葛藤があるからといって簡単に
  ギブアップしていいのか?という面もあって、現代の問題がいっぱい
  詰まっている。うまく消化できているかどうかは別として、
  濃縮度はすごいよね。

金: 日本の民話や神話などでも、かつてそれを書いた人は、最初から
  ファンタジーを書こうとしていたわけではなくて、その人たちにとっての
  日常のリアリティ、生活の中で感じたことを元に書いていたのだと
  思うんですよね。その生活感情をリアリズムで突き出すのではなく
  フィクション化し、普遍化して描いていたのだと。
  だからこの映画でも、僕らの現実をそのままリアリズムでポンと見せる
  のでなく、ひとつ寓話化することによって、これは実際に時間が経過
  しないと結果が出ないことですけど、作品が一年とか数か月で消費され、
  飽きられ忘れられるのではなく、もっと長いスパンで残るものになって
  欲しい。また、(寓話化することによって)日本とは文化がぜんぜん違う
  国の人たちにも何か共通するものを感じてもらえないかな、という風に
  思って作ったんです。

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<映画的体験とは>

佐: 寓話性というのは、とてもよく分かる。ひとりひとりの登場人物を、
  かなり象徴的に作り上げているんだよね。だからある意味で典型、
  現代的な状況の中でどうしてもへりくだって生きるしかない典型、だとか、
  便利と不便の間で葛藤している人、だとか、そういった象徴的な人物
  たちが台詞を発しているのが、非常に演劇的になっている。
  こういった映画は、娯楽性もないわけだし、興行として成功するのかと
  いったら難しいと思うんですよね。
  だけどいまは、娯楽はいくらでもあるわけだし、映画もネットで見れる時代。
  そうなって映画を劇場で見る必然性というのが無くなってきて、
  (大作映画でも)椅子が揺れたりとか、遊園地感覚を持ち込まないと人を
  呼べないのか、というところにきている。
  そんな中、演劇性、つまりはその場にいて、その場の空気・空間の中にいる
  ということに意味がある、劇場自体が舞台装置となるような作り方をすること
  が映画でも大事になる。家でポテトチップスを食べながら寝ころんで見る、
  というのとは違う体験が出来るような。

金: 仰るように、映画館の暗闇でじっと見るからこその「何か」がないと。
  自分の世代は20才前後のころ、ちょうどミニシアターブームというのが
  あって、単館系の映画が多く見られたのですけど、その頃に見た映画って、
  正直見た直後、よく分からない、と思うことが多かったです。
  だけど一回見てもよく分からなかった映画が、どこかで引っかかって、
  年齢を経てから見直すと、また違う見え方がしたり、読んだ本と関連して
  いったり。映画を消費するのでなく、人生の中の記憶として残って、
  作品が自分の中で一緒に成長していく。これが映画的な体験、
  映画館で映画を見る魅力なんじゃないかな、と。

佐: 記憶に残ると言えば、いちばん最初に作られた映画といわれる
  リュミエール兄弟の映画。
  例えば、駅に列車が滑り込んでくるだけ、とか、門みたいなところから人が
  どんどん溢れ出てくる、とか、何の台詞もない。
  そういったシーンが、一回見たら忘れられない、すごく鮮明に憶えている。
  おそらく作り手も、当時それを見た人たちも、ものすごくびっくりしていた
  のだと思うんですよね。二次元の画像の中から人が溢れてくる、というのは、
  動画じゃなければ出せない表現です。
  あと、動画ならではの表現というと“沈黙”も、他の表現では出来ない。
  動画の中で男と女がいて、3分間ずっと会話も何もないシーンがあると、
  見ているほうは色々なことを考える。写真であっても、そこまでは沈黙の
  重みや、背後にある何かを感じない、絵もそうです。
  つまり映画だけの武器である“沈黙”の使い方というのが、映画作りが
  どんどん技術化していく中で忘れられている。
  間がなかったり、慌ただしかったり、テレビドラマと変わらないものが
  多くなっているけど、原点に戻ることによって映画らしさを取り戻すことが
  できるのでは。どう?そのへんは意識してますか?

金: そうですね、映画というのは時間ですよね、見る人も暗闇の中に
  拘束されて、この映画だったら86分間、時間を共有しなければいけない。
  家で見れば早送り出来るけれども。
  画や音だけではなくて、その時間を体験することによって、
  生まれてくるもの、感じるものが大きくあると思います。
  自分も、まだそれが上手く表現できているわけではないですが、
  やはり仰るような間であったり沈黙から、その人が台詞で言っていることの
  奥にあるものを描きたい。
  ちょっとした言い淀みや間から、表面として言葉ではこう言っているけど、
  その裏にあるもうひとつの意味、感情を表現できたら、と思います。

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映画『アルビノの木』より

<「多様化」と「多層化」の違い>

佐:この映画、もうずいぶん長い間、全国を廻ってますよね。

金: はい、2016年7月に東京から始まって、名古屋・秋田・下関・福岡・広島、
  今日から京都・大阪、今月末から長野で、来月は松本・横浜と。
  公開が始まってから時間が経ってますが、有り難いことに地味に息長く、
  上映が続いてます。

佐: こういう映画を上映してくれる映画館があるってことが、現代の状況に
  おいて、すごいなと思うんだよね。

金: 劇場も大変な状況なんですよね。デジタル化に伴って、多くの劇場が
  消滅して。そういった中で、この小さな映画を上映して下さる劇場が
  全国にあるのは、作り手にとって、とても励まされることです。

佐: 間違いなく表現の転換期だと思うんですよね、本でも映画でも。
  転換期っていうのは、表現の仕方が変わりつつあるという以前に、
  配給の仕方とか、本で言うと配本の仕方、書店に並んでいた本が、
  そうでない形になってきている。
  だからシステムが変わりつつある現実を見た時に、今まで多くの人は
  気づいていなかったのだろうけど、ものの作られ方が、如何にシステム
  によって縛られていたか、ということに気付き始めると思うんです。
  具体的に言うと、本だったら本屋さんの書棚に並ぶために、
  決まった規格サイズでないとダメですよね。
  雑誌とかでも、そういうシステムありきで、流通のし易さも含めて規格化
  されていて、その制約の中に当てはまるものじゃないといけない。
  「風の旅人」は5年前に書店販売は止めましたけど、2003年に創刊して
  書店に置き始めた時は、どこの書棚に置けばいいのかと、ずいぶん
  聞かれたんですね。つまり人文系なのか、ネイチャーなのか、もしくは
  アートなのか、写真なのか、とかね。それを決めてくれないと、置く場所が
  決まらない、みたいな言い方もされたりとか。
  実際は音楽雑誌の横に置いている書店で売れたりして、フィーリングで
  買う人がいるのに、かなりシステムに縛られて、もの作りをさせられている。
  映画もそういったところがあるでしょう?

金: 今のお話を聞いて、ちょっとお伺いしたいのですけど、佐伯さんは東京で
  お仕事をされてきて、この数年は京都へ移られてますよね。
  ものを作ったり出版をしたりする上で、ある種、東京がシステムの中心として
  あるように考えられてきたわけですけど、映画でも地方在住の監督が地元
  から発信するような作品も出てきて、変わりつつある。
  というより変わらないと、今の日本の、都市に一極化した様々な問題が
  解決していかないと思うんです。そういった点で、京都に活動の場を
  移されて、東京との違いをどう感じていますか?

佐: 一番違うのは、東京はよく「多様化」とかいうけど、実はすごく均質
  なんですね。つまり同じ時間軸とか、同じフレームの中での「多様化」
  なんです。京都は「多様化」というより「多層化」という言葉のほうが
  正しいのではないかと思って。
  違う時間が、同じ空間の中に流れているのがすごく大きい。
  時間と価値観というのは、密接に結びついているので。
  現代の時間が流れているところには、現代の価値観が流れているわけで、
  例えば中世の時間であれば中世の価値観、古代であれば古代の価値観が
  流れている。
  いろいろなものが体験できるから良いという単純なことではなくて、
  「世界は多層である」ということが(京都では)リアルに、
  俯瞰するように感じられる。
  だけどひとつの層の中に自分が埋没していたら、「世界が多層である」
  ということが感覚で分からない。自分の直面している現実は、多層な世界の
  一つの層にすぎないのだ、という冷静さを失いがちになる。
  その渦の中に巻き込まれて溺れてしまい、自分の価値観の軸すら定められ
  なくなって、何が流行っているのか意識しすぎたり、人の噂が気になったり、
  どうしても周りに引っ張られる。
  それを「流される」というのでしょうけども、その渦の中にいるから、
  流されていること自体も分からない。
 
  一方で、多層な時間があることを意識できれば、そのあいだの行き来が
  出来る。例えば京都なら1~2時間で高野山や丹後に行って、
  (違う時間の価値観を)トリップして、すっと戻ってこれる。
  東京にいると、3~4時間くらい車で走っても同じ場所が続くでしょう、
  関東平野は広いから。そうした環境は人間の感性を麻痺させるもの
  だと思う。
  僕が東京を出ようと決断したのは、国立競技場のデザインが一度、
  ザハ案に決まった時です。あのデザインは空から見れば格好良いのかも
  知れないけど、人間が立っている位置から見たら、ただの壁しか見えない。
  (それに代表されるように)東京は自分が生きている現実と、抽象世界の
  関係を分からなくさせる場所なんですね。作り出されるものが、自分の
  現実と全く関係ないところにいってしまう表現がとても多い。
  かといって自分の現実だけをモゴモゴ描いているものも、ひとつの層に
  埋没してしまうわけで。
  だから、その間で両方を見るようなポジションにいることが必要なのだと
  思いますね。

金: なるほど・・・。「多様化」ではなく「多層化」というキーワードが出た
  ところで、たいへん残念ながらお時間がきてしまいました。
  佐伯剛さん、本日は貴重なお話を本当に有難うございました。
  (お客様からの拍手で終演)

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4月15日(土)京都みなみ会館にて、上映後行われたトークを採録
文責:kinone ()内の補足・注釈はすべて金子によるもの
※トーク中写真は、京都みなみ会館よりご提供頂きました

| 上映情報 | 14:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アルビノの木』GWまでの上映情報


人物紹介_m
↑登場人物表をイラストレーター・フクイヒロシさんが描いて下さいました。
 クリックすると拡大されます。


この春は『アルビノの木』国内各地劇場での上映が続きますので、
以下順番に列挙します。

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横川シネマ 
日時: 2017年3月15日(水)~21日(火)の1週間上映
◆連日17:00~上映

※イベント情報
3/18(土)上映後 青原さとしさん(ドキュメンタリー映像作家『土徳流離』など)
×金子雅和 トークショー
3/19(日)上映後 金子雅和 舞台挨拶

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**********************************************************

京都みなみ会館
日時: 2017年4月15日(土)~21日(金)の1週間上映 
◆15(土)・16(日) 14:15~上映
 ※共に上映後イベントあり(30分予定)
◆17(月)~21(金) 18:40~上映

※イベント情報
15日(土)上映後 佐伯剛さん(雑誌「風の旅人」編集長)
×金子雅和 トークショー
16日(日)上映後 千松信也さん(猟師 著作「ぼくは猟師になった」など)
×金子雅和 トークショー

kyoto_osaka.jpg
↑クリックで拡大されます

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十三シアターセブン
日時: 2017年4月15日(土)~21日(金)の1週間上映 
◆15(土)~20(木) 18:20~上映
 ※15,16はイベントあり(30~40分予定)
◆21(金) 15:35~上映

※イベント情報
15日(土)上映後 米澤里美さん(なにわホネホネ団副団長)
×西尾孔志さん(映画監督『函館珈琲』など)×金子雅和 トークショー
16日(日) 上映後 前田和紀さん(映画プロデューサー『ソウルフラワートレイン』など)×金子雅和 トークショー
米澤里美PF
米澤里美さん

西尾孔志PF
西尾孔志監督

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松竹相生座ロキシー
日時: 2017年4月29日(土)~5月12日(金)の2週間、連日2回上映
◆①10:50~ ②16:00~

※イベント情報
29日(土)各回上映後 松岡龍平(俳優)×金子雅和による初日舞台挨拶 

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松本CINEMAセレクト
会場: まつもと市民芸術館
日時: 2017年5月3日(水・祝)
◆10:30~1回上映

※イベント情報
金子雅和による舞台挨拶 

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そして5月末には横浜シネマ・ジャック&ベティでの公開も決定してます。
各劇場、須坂市観光協会(長野県須坂市)などで全国共通特別鑑賞券(1,300円)が発売中

詳細は各劇場HP、及びに『アルビノの木』公式HP上映情報をご覧ください。

各地皆さま、ぜひ劇場へご来場下さい!!

人物相関図_m
↑同じくフクイヒロシさんによる相関図です。
 クリックすると拡大されます。

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2月、3月の上映

※2月24日追記しました
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↑インド・パトナの様子。何故か巨大パネルに…(下段右から3番目)


福岡・中州大洋映画劇場での『アルビノの木』上映、無事終了しました。
ご来場頂きましたお客様、ありがとうございました。

2月、3月も上映がいくつか決まってますので、以下に列挙します。

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『アルビノの木』
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ボーディサットワ国際映画祭(インド・パトナ) 2月16日~23日開催 
 インターナショナル長編コンペ部門ノミネート上映
 2月17日(金)16:00~上映 ※現地時間
 ノミネートリスト


↑映画祭Trailer
1分10秒くらいからラストまで、本作の映像がいくつか登場します。

映画祭公式カタログ(←クリックすると全体が見れます)
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シルクロード映画祭(アイルランド・ダブリン) 3月8日~12日開催
 長編部門(コンペティション)ノミネート上映
 3月9日(木)20:00~上映 ※現地時間
 作品紹介
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映画祭公式カタログ ←クリックすると見れます
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横川シネマ(広島) 3月15日(水)~21日(火)ロードショー公開
 連日17:00~上映 

※イベント情報
3/18(土)上映後 青原さとし監督(ドキュメンタリー映画『土徳流離』など)×金子雅和(『アルビノの木』監督)トークショー
3/19(日)上映後 金子雅和(『アルビノの木』監督)舞台挨拶

劇場ブログ


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「水の足跡」
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NPO法人 COSMO FEST 主催映画鑑賞会 2月23日(木)
 ゆうゆう大宮前館にて上映(無料)
 画像をクリック↓
cosmofest2017_2.jpg

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各詳細、そして4月以降の上映については【News】をご覧ください。


昨年7月のテアトル新宿から始まり、名古屋・秋田大館・下関・福岡と
続いてきた『アルビノの木』ですが、2月はインド・パトナで上映です。
ボーディサットワ国際映画祭 公式プレスリリースによると、世界122ヶ国、3,543の
エントリー作品(全部門)中からのノミネート(長編コンペノミネートは10作品)とのことです。

パトナはブッダが悟りをひらいたことで有名なブッダガヤがあるビハール州の州都。
ブッダガヤには、20才のインド旅行のとき、少しだけ寄りました。

12月 コルカタ国際野生&環境映画祭でノミネート上映、
1月 コルカタ国際文化映画祭・月間最優秀賞受賞(今年10月セレモニーがある予定)、
そして今回で3つ目と、何故かインドの映画祭で声のかかることの多い『アルビノの木』、
現地の人たちの反応がとても気になるところです。


シルクロード映画祭では、『アルビノの木』ヨーロッパ初上映となります。
東アジア~中央アジア~アラブ~バルカン半島周辺~北アフリカ~欧州にわたる、
かつてのシルクロード文化圏の映画が主にセレクトされる映画祭。
他作品はアカデミー賞ノミネート/カンヌ受賞の『裸足の季節』(トルコ)など。
ハンガリーの巨匠タル・ベーラ監督のマスタークラスもあり、と豪華な内容。
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そして3月の横川シネマ、昨年11月の広島国際映画祭スクリーニング会場でもありました。
とても雰囲気よい映画館なので、また戻れるのが楽しみです。
この広島以降、4月中旬~大阪/京都、4月末~長野、5月3日松本、5月横浜、と
国内各地での上映がどんどん続きます。
※順次【NEWS】で更新します


COSMO FEST 主催映画鑑賞会は、杉並区を活動拠点とするNPO法人COSMO FESTさんから
杉並区民へ向けた上映会の作品として、オファーを頂きました。
2年ほど前、「水の足跡」が 同主催の COSMO FEST TOKYO 2014 コンペティション部門
で観客賞を受賞したご縁です。
その時の写真↓
cosmofest02.jpg

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各所、お近くの方はぜひご来場ください!!

| 上映情報 | 12:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アルビノの木』インドの映画祭"CICFF"で月間最優秀賞を受賞!

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※1月30日追記しました
『アルビノの木 "The Albino's Trees"』が、インド・コルカタ(カルカッタ)の映画祭
CICFF Calcutta International Cult Film Festival -December,2016 Selection- で
月間最優秀長編映画賞(BEST NARRATIVE FEATURE)を受賞しました。

CICFF - Calcutta International Cult Film Festival

CICFF 2016年12月受賞作

CICFF公式HPの紹介によると、主に審美的・哲学的理由で作られた
アート性の高い映画を毎月カテゴリー別に選出し、映画の力によって
異文化間の交流を深めることを目的とした映画祭、とのこと。かなりザックリした要訳ですが。
(※ここでのCultはCultureと同義のようです、共にラテン語の「心を耕す」が語源だそう)。

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↑ AWARD CERTIFICATE (賞状証明書 ※クリックすると拡大されます)

『アルビノの木』は、2016年12月の NARRATIVE FEATURE(長編劇映画)部門オフィシャルセレクションに
選ばれた8作品(アメリカ2作、日本2作、ドイツ、カナダ、アイルランド、イタリア)中、
最優秀賞である BEST NARRATIVE FEATURE を受賞したため、年間ベストを競う
CICFF GOLDEN FOX AWARD にて、ノミネート上映される模様です(2017年12月予定)。

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そして同映画祭が発行するオンライン映画誌 CULT CRITIC 2月号
「FILM OF THE MONTH」として長文レビュー(英文)が掲載されました。
かなり読み応えなる内容ですので、ぜひご一読ください。

映画祭Trailer

タルコフスキーの『鏡』から始まるこの動画を見ると、
映画祭の趣旨が何となく分かるような気がします。

年間ベストを決めるAWARDでは上映だけでなくQ&A等もあるそうなので、
出来ることならばインド・カルカッタへ19年ぶりに再訪したいな、とも願うところです。

| 未分類 | 08:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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